ホラー 満載の釜山
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07.24.2013
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10年前は映画産業の不毛の地とされた釜山だが、今は韓国最高の「映画ロケ地」という名を持つほど、多くの長編映画のロケ地として脚光を浴びている。この背景には、釜山市民の撮影に対する友好的な心構えに加えて、釜山には時代やジャンルをまたいだ様々なロケーション場所の存在がある。たとえば、海雲台センタム地区周辺の洗練された未来志向的なイメージや、それとは一転して70~80年代の姿を演出できる昔の面影が残っている場所など、様々な時代的な背景をカメラに収めることができる。また、山、川、海の3要素が作り出す美しい自然景観は、どの都市にも見られない釜山ならではの地形の恵みといえる。
このような多彩な場所のおかげで、ここ10年間、アクション、ラブストーリー、ドラマなど、様々なジャンルの映画が釜山ロケを行った。そればかりではなく、夏になると、夏の風物詩のように映画館に登場するホラー映画も、釜山で多く撮影される。映画『ボイス』(2002)、『鬘 かつら』(2005)、『着信アリ Final』(2006)、『アパートメント』(2006)、『解剖学教室』(2007)、『奇談』(2007)、『ブラッディ・ミッション』(2008)、『女子高の怪談5:心中』(2009)、あわせて8作品のホラー映画が釜山で撮影された。ロケ場所をまとめてみると、これらホラー映画が一番多く選択した釜山の「名所」は、他ならぬ「学校」だった!『着信アリ Final』は釜山培花学校で、『解剖学教室』は新羅大学、慶星大学と釜慶大学で撮影された。『奇談』は東義大学で、『ブラッディ・ミッション』は今はなくなったが当時は廃校だった(旧)海事高校で、『女子高の怪談5:心中』は東天高校で撮影された。誰でも学生時代には、学校怪談の一つや二つは聞いたことがあると思う。小学校時代はイ・スンシン、ユ・グァンスンのように歴史的人物にまつわる怪談が、高校時代には受験にまつわる恐い話が多かった。中でも、学校で成績1位と2位の二人にまつわる恐い話はシリーズ物のようになって、生徒の間に語り継がれ、受験生活の疲れを癒し、夏の暑さを吹き飛ばした。とりわけホラー映画の背景として学校が多く登場する理由は何か。抑圧されがちな学生生活、受験のストレス、そして将来への不安が恐怖として現れるのではないだろうか。いずれにせよ、学びの殿堂であるはずの学校がホラー映画の定番の場所として登場するのは、あまり好ましくは思えない。
「ホラー映画=学校」というステレオタイプから脱却し、今年の夏、恐怖でぞっとするような目新しいスポットを紹介したい。恐怖のスポットというと、墓地や深閑とした山寺など、人気のない場所を思い出すが、釜山には思いがけない恐怖の静けさを醸し出す場所がある。学校という空間から脱却して、新しい恐怖を体験したいか、それとも新しいホラー映画を企画しているのなら、この釜山で、新しい恐怖のインスピレーションを得てほしい。心臓が強い人なら、夕暮れ時、以下の場所を訪れてみるように。きっとあなたをぞっとさせる何かが待っているだろう。
人が住んでいない島、真友島。ここは洛東江河口の砂が堆積して作られた堆積島の中でも最も大きく、釜山唯一の無人島だ。島に入るためには、江西区鳴旨洞に行って、漁船をチャーターしなければならない。水を切って進む船の中で、船長から島の話を大まかに聞くことができた。この島には朝鮮戦争の時、戦争孤児の面倒を見ていた真友院という施設があったが、1959年台風14号、サラの来襲により、40人あまりの子供が命を落としたそうだ。その後、施設の院長が生き残った子供たちを連れて陸地に移し、それ以降、島の名は真友島と呼ばれるようになった。歴史の痛みと子供たちの悲しい話を聞いてから、島に降りようとすると、足がすくんだ。なにより、この島にもう誰もいないと思うと、一層もの寂しい雰囲気に包まれた気がした。本能的に携帯のアンテナを確認した。外の世界と繋がっているのは、携帯しかなかったのだ。
砂の道を通って森に続く道に入ると、人が住んでいた跡が見える。錆びた耕運機、干し上がった井戸、子供たちが遊びまわっていたはずの施設の建物が廃墟になったまま、残っている。鳥の怪しい鳴き声が、廃墟の静けさと相まって不気味な雰囲気を醸し出す。一人静かに目をつぶっていると、ホラーを題材にしたシナリオが自然に思い浮かぶ。島を歩けば歩くほど、錆びつき、崩れ落ちた殺風景な光景がさらに広がっている。やせ細り枯れた木はなぜか痛々しく私の胸に迫った。生より死を思わせる島。なぜか早く陸に帰りたくなった。もし私を降ろして行った船が戻って来なかったらどうしようと心配しながら、予定時間より早めに船着場へ向かった。船を待ちながら、長く続く白浜を見ていると、子供たちの明るい笑い声が私の耳元をよぎる。耳を打つその笑い声が大きくなるほど、一刻も早くここを離れたいという気持ちが募る。私を迎えに来る船がこんなにも待ち遠しいのはなぜだろう・・・。
割れた窓ガラス、ツタに覆われた空き家、散らかっている所帯道具。しかし、人気のない廃墟にしては、かなり整った感じだ。人の気配を感じられたらと思うが、感じることができない。ノラ猫ばかりが、村のあちこちをうろうろしている。静けさが漂う中、時折聞こえてくる電気のこぎりの騒がしい音が、人がいるということを教えてくれる。その音をたどって、丘の中腹へ足を運ぶと、木材を加工する工場がある。工場に入ると、ツンとくるボンドの匂いで目眩がした。
知らない人が訪れることがあまりないらしく、現場の作業員がこちらをじろじろ見た。よそ者を警戒する眼差しだ。さりげなく挨拶をしてみる。ぎこちない態度で挨拶を返す作業員に村のことを聞いてみるが、じろりと見られて、おかしな人のように扱われた。いくら質問をしても、知らないという返事ばかりで、難色を示していた。予想はしていたが、私が求めていた明確な答えは聞けなかった。村に対する好奇心は大きくなる一方だった。偶然すれ違ったお年寄りにも村のことを聞いてみたが、冷たい反応が返ってくるだけだった。果たしてここで何が起こったのだろう。どうして人々はこの村を離れたのだろう。村についての疑問が解けないまま、ここを離れなければならない。灰色の建物、建物の中の鉄格子、鼻を突くボンドの匂いが印象的だった三徳村。かつては平和だったはずの村。今では、一人また一人と村の人が去って行った空き家で、我が物顔をしている猫だけが、この村に残っている。車での帰り道、木材加工工場の作業員の表情が頭を離れないのはなぜだろう。
忠武施設とは、有事に備えて作られた地下バンカー(人工洞窟)のことをいう。一般の人は入ることのできない「立入制限区域」だ。撮影をするにも、あらかじめ許可を得なければ出入りができない。忠武施設を堅く守っている巨大な鉄の門は、外の世界と断絶されたように、中と外を区切っている。鉄の門が開いた瞬間、待っていたかのように、鳥肌が立つほど冷たい空気が吐き出されてきた。涼しいというより、寒々しい。いきなり冷気に当たると、爽快感より先に、戦慄が身を包んだ。真っ暗な人工洞窟の中を覗き込むと、霧と闇の見事な調和が身に迫る恐怖を感じさせる。闇をふり払うために発電機と繋がっている電源をつけると、終わりが見えないほど長い洞窟が壮大に広がった。まるで長いトンネルのようだ。恐る恐る中へ入ると、四角いトンネルにまっすぐに伸びた廊下の左右に20室以上の部屋が並んでいる。戦時中、各行政機関が入居していた小さな部屋だ。部屋の前にかかっている古い表札から時代背景がうかがえる。師団長室、建設輸送支援班、通信本部などの表札の中から、とりわけ目を引いたのが、医療援護支援班!戦時中怪我をした人を治療し、時には死んだ人の後始末をここで行ったと思うと、瞬間身の毛がよだった。密閉された空間では死体をどういう風に処理するのだろうと、余計なことが気になった。もっと奥へ入ると、医務室があった。閉ざされた空間のさらに奥には、もう一つ別の部屋があった。その部屋は死体安置室を連想させた。勇気を出してドアを開けてみたくなるが、精神上よくないと思い、踵を返した。廊下に戻って、来た道を一歩一歩戻って行った。誰もいない洞窟の中に響く私の足音が妙に大きく感じられる。どこからか水滴の音も聞こえた。前へ進むたびに、言い知れぬ怖さが私を襲ってきた。
これらの場所以外にも、あと2つのスポットを訪れた。毎日のようにすすり泣くような祈りが聞こえるという金井山城のカソリック教会と、正体不明の伝染病で動物が死んでいった動物園廃墟がそれだ。しかし、その2ヶ所を取材しようと訪ねたところ、現場には何も残っていなかった。近隣に聞き出してその場所がなくなった理由を探ろうとしたが、全く分からなかった。消えてしまった動物園の跡地から、いまだ動物の怪奇な鳴き声が聞こえるという噂ばかりが飛び交う。再び納涼特集のシーズンがめぐってきた。毎年蒸し暑い日が続く頃になると、映画館にはホラー映画が溢れ、テレビでは夏特番が企画される。今年はテレビや映画館ではなく、上に紹介した場所に行って、恐怖体験をしながら暑さをしのいではいかがだろうか。テントを張って真友島で一泊してみれば、まさに涼しい時間を過ごせるだろう。